皆さんこんにちは🙂
斎藤環さんの『中高年ひきこもり』を久しぶりに再読しました。この中に、このような箇所があります。
本音を言えば、私はすべてのひきこもり当事者は、潜在的に支援ニーズを抱えているという「先入観」を持っています。たとえ表面的には拒否していても、家族関係が変わるなと状況が変化すれば、そうしたニーズが生まれてくることを確信しています。また、だからこそ支援は強制されるべきではないとも考えています。機会あるごとにアプローチを試み、ご用聞きよろしくニーズの有無を尋ね、断られればまた次の機会をうかがう。
お節介?たしかにお節介かもしれません。ただ、こうした「マイルドなお節介」という支援のあり方は、近年依存症業界などでも推奨されつつあるようです。当事者からはそれでも「うざい」「いい迷惑」「大きなお世話」といった声が聞こえてきそうですが、押しつけや強制をしないという条件で、何とか許してもらいたいと考えているところです。
私は、実生活でこのマイルドなお節介をわりとしている方です。計画などは立てないので、そのマイルドなお節介の行先に、良い効果があったのかはわかりません。
もしひきこもることが100%容認される社会が実現したら、長期間ひきこもってしまう人は激減するでしょう。
その通りだと思います。逆説的ですが、ひきこもる自由が確保されたとき、人は初めて孤立やひきこもりをやめる自分だけの動機を獲得するのだと思います。
自由って、ほんとに大事。
さぁ、今日も、しっかり対話して、みなさんが思っていること感じていること知っていこう。
az*:・゚’☆✏️
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